心臓病と人生観!@浮間・蓮根・志茂の個別指導
学習スタジオ フォワードの塾長をしています、冨永です。みなさん、こんにちは!
私は5歳の時より心臓の疾患があり、25歳でカテーテルの手術をするまで、20年間、心臓病に悩まされ、かなり制限された生活をしておりました。
私の病気はというと発作というものになると脈拍数が、普通の人であれば1分間に60〜70くらいのところ、200前後になるという病気でした。脈拍が200になると、すぐに死んだりはしないのですが、なかなか苦しいものであり、わかりやすくお伝えするのであれば、皆さんが100メートルを全力疾走した時が大体150前後、あのゼーゼー、ハーハーといった瞬間よりももう少し多い脈拍が続くというものであります。幼い頃の記憶なので曖昧なところもあるのですが、小学校高学年の頃はこの発作が出てしまうと私の大好きな学校には行けず、自宅待機、それでも、発作が収まらなければ入院ということを週に1回くらいの頻度で経験しました。夜に発作になり、これが親にバレてしまえば学校に行けない。しかし、この発作は息を止めることによって、少しこの症状を緩和することができました。ぐっと息を止めるとその瞬間だドクドクドクっと1分間に200回脈を打っていた心臓が、1分間60回の通常の脈拍数に戻る。そして息を止めていることができなくなり、はあ〜と息を吸うとまた200回が襲ってきます。それを何度かやっているうちに息を吸った後2、3秒60回の脈拍を維持し、1時間後には60回の脈拍が2、3分に伸びる。このようにして、発作と戦うこと数時間、時にはあたりが明るくなっていることもありました。今考えると、かなりかわいそうの状況ですが、当時はその後に元気に学校に行っていました。その日の授業はさぞ眠かっただろうと思うのですが、小学校で授業中に居眠りしたことはありません。我ながらすごいものです。
このミッションに失敗すると、朝になって母親に自分が発作であることを告げ、その日は学校をお休み。発作が続けば入院ということを繰り返していました。そんな生活は、身体の成長と共に改善していきました。高校卒業の時には脈拍も発作時に130ほどで、発作の頻度も年間で数えるほどになり、25歳の時には開胸手術をすることもなく、今では当たり前となっているカテーテルという新しい術式で完治しました。なかなか苦労した学生時代だと思います。
小学生の当時は40歳まで生きることができないと言われていた私が、今年で48歳になりました。25歳の時に拾った命を教育に還元しようと思い始めた学習塾ですが、その決意を忘れてしまうことがあります。平和ボケしてしまったような日々を生きることもありますが、初志貫徹したい。25歳の頃の思いを忘れず、今日もフォワードに通うひとりひとりのお子様、そして保護者の皆さんのために仕事をしていきたいと思っています。